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Tax Watch


アメリカの公用語

By 長土居政史


常に進化し続ける革新的なソーシャルネットワークのおかげで、今起きている社会現象や社会問題の興味あるニュースが瞬時に得られる。多分の情報量が絶え間なく押し寄せてくるが、中には重苦しい、操作的な、健康を害しそうな毒のあるデータも存在する。その内容に憤慨してしまう。うまく自分で情報を処理し、分析する方法も見つけ出さなければならない。

そんなことを念頭に置きながら Facebook、Twitter、YouTubeなどでいくつかのビデオ映像に出くわした。人道的配慮、品位や礼儀さえをも侵害するあまりにも酷い内容だ。アメリカ社会に置ける貴重な価値観を再吟味する必要があるのでは、と疑ってしまう。

映像を説明すると:あるビデオは、車椅子に乗ったチェック柄のシャツを着た一見よくいる普通のアメリカ人の男性だが、彼が別な男性に向かって興奮して怒鳴りまくっている。被害を受けている男性はそのシーンをカメラ(おそらくiPhone。被害者の顔は見えない)で撮影している。怒鳴る男を落ち着かせようと、冷静な口調で話しかけているが無駄だ。どこかの空港ロビーのようだ。背景にスロットマシーンが見える(後にリノの空港と判明)。男が怒鳴っている理由は、映像が撮影する前に、単に近くにいた被害者の男性が電話で母親とスペイン語を話していたからのようだ。癪に障ったのかチェック柄の男性は、凶暴な顔付きで 「英語を話せ! アメリカに住んでいるんだぜ!」とわめき散らす。もう一つは、野球帽をかぶったある男性が侮辱的な表情で誰かに「アフリカに帰れ!」と叫んでいる。ウォルマートで、ある女性が嫌悪感丸出しの無礼な態度で、「メキシコに戻れ!」と声を張り上げる。ドーナツ屋のレジで、ボサボサの髪をしたある中年の女性客が、エスニック系の店員に対してツンとして見下すような口調で「国へ帰りなさい。トランプが大統領よ」と平然と罵る。IHOPレストランで、ある年老いた女性が、ラテン系の女性に向かって「英語を話せ!」と罵倒する。

どの事件も、この時代にこんなことが実際に起きていること自体が信じられなく、吐き気さえも催す。いわゆる愛国心を持ったアメリカ人が、公共の場で恥ずかしげもなく他人に、こんな醜態したマナーで、虐待の言葉を浴びせる振る舞いにあっけにとられる。馬鹿げている。恥を知れ! 残念でほかならない。ソーシャルネットワーク時代に生きている恩恵の裏返しとも言えよう。生々しい冷酷で醜い現実世界を垣間見れてしまうことは、悲しく心が痛むが、事実として受け入れなければならない。

オレンジ顔色の現職大統領の存在自体が、この種のヘイトスピーチや憎悪行為をけしかけており最近特に表沙汰に急増している要因であると確信する。しかし、残念なことに、大統領就任前にアメリカには、この種の外国人嫌悪の国粋主義的傾向の心情を潜在意識の中で抱き、敵対的で不満の溜まった多くの人たちがいたことも事実である。昨年の投票結果が物語っている。このモラルの低下に伴った悪の循環が感染してしまっているのだ。図々しい彼らは、誇らしげに何の後悔、悪影響、反省もかえりみずに、まるで特権を得たように自信を持って堂々と感情を露わにする。詰まるところ、英語を話さないマイナリティーや外国人が嫌いなのだ。差別そのものではないか? まるで政府が絶えず陰謀的な思惑を秘めた政策を行使しているようなものだ。深い憎しみに満ちたこの悲しく厄介な問題を、自分が魔法の杖をヒョイっと掴んで、全てをすぐさま解決する魔法使いになれれば…でもそれは無理である。ただ、何かしら双方が理解し合えるヒントになればと思い、これまで個人的な体験を通じて学んだことをこの場を借りて伝えてみる。

自分は東京で生まれ育った。70年代から80年代にかけての少年時代、10代の青春は、イケイケのアメリカの影響が(表面的にしろ)非常に強烈であった。文化、ファッション、映画、音楽などの面で言えば、例えば、マクドナルド、ディズニーランド、アップル、スター・ウォーズ、E.T.、レーガン大統領、キース・ヘリング、CNN、MTV、マイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナなど、どこを見ても象徴的なアメリカ盛り沢山の環境だった。当時、日本の大半の若い世代は、自分も含めて、アメリカに魅力を感じ憧れた。夢を叶えてくれる究極の理想郷はアメリカだ。当時クラスでアンケートを取った時、確か一番訪問したい場所はロサンゼルスのディズニーランドだったことを覚えている。権力、繁栄、野心、成功、キャリア、ファンタジー、そして幸福の最高峰を代表していた。映画を取っても、そのスケールの大きさに度肝を抜かれた。楽観的で、魅惑的で、刺激的で、熱中してしまう要素があふれていた。何よりも経済が大いに活況を呈していた時代。アメリカという国が日本にとって一番の親日国。アメリカは、大親友のようで、頼れる兄のようで、何よりもこの惑星における皆を助けてくれる文句なく絶大的な支持を受けている世界のリーダー。戦後の日本復興再建に素早く、効果的に責任をもって手助けをしてくれたことは、日本国民は忘れていない。感謝の念でいっぱいだ。自分を含めた大半の日本人は、アメリカが永遠なる救世主と信じていただろう。アメリカに追いつけ追い越せと、アメリカを目標にして日本は躍起になった。アメリカの振る舞いを模倣することが、日本国の明るい将来に向けての最高の手本だった。

アメリカは、あらゆる種類の特効薬や貴重な宝物を持っている…それも有り余るほど! 自分で決意した人生の使命の一つは、まさにそれを見つけることだった。その冒険へ旅立つ準備のためには、アメリカに関してより多くの情報を集めることであり、その為に最も論理的で合理的な方法は、まず英語を学ぶことだった。色々と自分なりに人生の目的を心の中で摸索中、ある特殊な事件に遭遇した。英語をもっと真剣に学ぶ動機をさらに決定づけた心に強く残る事件である。まあ、これは個人的なものであり父と祖父からの影響も受けたが、皆プロレスが大好きだった。 リングで悪者と戦うレスラーの姿(時なる流血戦も)がまさにヒーローに思えて、感動したものだった。おそらく自分が持つ精神的、肉体的な貧弱さや心理的な劣等感を、レスラーたちに置き換えることで、かき消してくれたのだろう。勇気を与えられたと共に、いかに自分が強くなったか大きくなったかというマッチョ的欲求を満たしてくれたからだろう。どの少年も単に強くなりたいという願望からファンになったのかもしれない。特に好きだったのがテキサス出身の兄弟コンビ、ドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクのザファンクスだった。スピニング・トーホルドやローリング・クレイドルの技も素晴らしかったし、負けるものか!と最後まで諦めず必死になって頑張る姿が素晴らしかった(*夢中になった別なアイドル的な英雄的覆面レスラーもいたが後述する)。ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセン、アブドーラ・ザ・ブッチャーを含むスターレスラー達が日本に来日し各地を巡業した。自分は貴重なCanon AE-1カメラと、サインをもらおうと数枚の立派な色紙を手にして東京のスポーツ会場に向かった。何十枚ものピントがボケまくりの写真を撮ったが、サインをもらえる機会はなかった。試合前に、リングを覗きに控室から花道までヒョイっと人気レスラーたちが現れると、彼らに向かって多くのチビッコファンたちが押し寄せてきては一気に群衆が取り巻いた。試合後に流血戦で負けたレスラーには怖くて近寄れなかった。そんな度胸はない。真剣勝負で戦ったに違いない。負けて悔しく怒りが収まらない時に、ノコノコと色紙を差し出されて、マジックのペンを手にとって、サインをしてくれる時間と余裕なんか絶対ないと信じていた。気に障って怒られる、ましては殴られるに違いないと。そんな自分が躊躇していると、自分より明らかに年下の小さな少年が、怯むことなくあるレスラーに近寄って行き、お互いに笑いながら実際に会話をして、サインをもらっているシーンを目撃した。ええっ! なんでだ? どういうことだ? 驚嘆したと同時に、嫉妬も感じた。その少年は英語でレスラーと話していたのだ! その瞬間、電球がパット光るように閃いた! そうなのだ。英語が話せれば、有利な立場を得てそれなりの恩恵を受けることができる、ということに気付いた。周りの人から見ればなんてことはない些細な出来事かもしれないが、それを目の当たりにした自分にとっては衝撃的な事件だった。実社会で目標を達成する為の具体的な試練の道であった。

30年以上も前にミネソタの大学に留学してきた頃、「郷に入れば郷に従え」をモットーに、できるだけ多くのこと学ぼうとやる気満々で臨んだ。ところがいきなり一年目の経済理論の授業で、完全に困惑し茫然となってしまったのを今でも鮮明に覚えている。教授が喋っている英語が全くわからなかったのだ。相当落ち込み挫折した。卒業なんて一生出来なくなるのかもしれないと焦った。暗くて長い極寒の吹雪の冬、ミネソタのどこかの湖で凍え死んでしまうのだろうかと恐怖におののいた。心配したアメリカ人のルームメイトのディビッドが、「分からなかったら、直接教授に相談しに行けばいい」とアドバイスをくれたが、「何を質問していいのかさえ分からない。だって教授が英語で何を言っているのかその内容さえ理解出来でいないのだから」と答えるしかなかった。つまり外国語を学ぶことは困難で苦痛である。長年住んでも、まだまだ理解できない表現や言い回しが沢山ある。きちんと発音出来ない言葉もだ。日本語訛りもなかなか消えない。とにかく、異国に来て、言語、文化、習慣を学んで、その土地にうまく溶け込むことは至難の技なのだ。アメリカにやってくる移民たちの中には、単に少しでも良い生活を求めてやってくる人たちもいる。彼らの色々な苦労もそれなりにもちろん共感できる。単に英語が喋れないからと言って、侮辱して退けてしまうあるアメリカ人による冷酷な行動は、愚かで馬鹿げている。

これまで自分のたどたどしい英語を忍耐強く聞き入れてくれて、アメリカの国家、人々、価値観など色んなことを教えてくれて、自分が学ぶのを手助けしてくれた全ての友達や先生たちに心から感謝する。またお返しとして、日本の人々、言語、芸術や文化を教える機会を与えてくれた時、海外に住む人たちの価値観や考え方を伝えることで、彼らにとっても刺激になり視野が広がり何かしら心が豊かになってもらっただろうことを望む。学校やコミュニティーを通じての草の根本的な教育交流プログラムはとても貴重だ。どんどん活動の幅を広がり続けていくことを願う。お互い誰もが協力し合って平和な社会づくりに貢献できると信じる。

言うまでもなく、世界中どこででも誰もが同じ言語を話せたら、それは便利なことは間違いない。エスペラント語が統一された共通言語に確立されるにはまだまだ時間がかかるだろう。しかし、アメリカ合衆国においての素晴らしさの一つは、まずここは人種のるつぼである。多文化主義であり、あらゆる人種や言語を寛容的に受け入れられ、多種多様なイデオロギーをも尊重し合い、分かち合えるのは、この国家の揺るぎない特徴であり強味である。これまで国家形成を築いて来た移民たちの歴史を見れば明らかだ。それにもし皆が単にただ一つだけの同じ言語で同じ文化であったら、どれだけつまらない国家になるだろう!

ところで、以下に列挙した単語は使ったことがあるか? ロボット、モスキート、クッキー、クドーズ(称賛)、バンガロー、パーキャピタ(一人当たり)、シェフ、パジャマ、サファリ、ゾンビ、プラザ、パパラッチ、ハンバーガー、シュマック(嫌な奴)、スローガン。どれかしら使ったことはあるだろう。これらの単語は、もともと他の言語から由来したものだ。(同じ順番で)チェコ語、ポルトガル語、オランダ語、ギリシャ語、ヒンディー語、ラテン語、フランス語、ペルシア語、アラビア語、西アフリカ、スペイン語、イタリア語、ドイツ語、イディッシュ語(ドイツ語と似ており、主にユダヤ人が使う)、スコットランド・ゲール語&アイルランド語だ。ということは、アメリカではすでに、実生活で多くの外国語を使っているのだ。生活の基盤に溶け込んでいるのだ。

あらま、ちょっと待って! 英語自体の言語も、よくよく考えてみたら、 もともとアメリカの言葉ではないのでは? そもそも他の国から由来したのでは…イングランドから? おそらく? 違いますか? そうでしょ? ということなら外国語を喋ることが、なぜそんなに大問題になるのか? 外国語を喋っている人に対して、そんなにも憎んで怒り狂わなくてはならないのか? あなたも他の国の言葉を喋っているのではないか! それに、あなたのような卑劣なアメリカ人の祖先たちの中でも、家系を辿ればおそらく英語を話さない外国からはるばる移民して来た人もいるだろう。  

2016年のアメリカ国勢調査によると、英語は実際に最も多くの人(2億3780万人)が会話に使っている言語である。それにスペイン語(4050万人)、中国語(マンダリンと広東語、340万人)が続く。しかし、アメリカでは先住民族の言語や手話を含むと、430の言語が使われている。先住民族言語を除くと、多くの言語は世界中から来た移民によってアメリカにもたらされたもので、これは検証済みの歴史的事実だ。

さらに、本題である、アメリカの公用語は何か? であるが、驚くなかれ、アメリカ合衆国憲法には英語が公用語であるとは記されてない! 事実、アメリカには公用語は定めてないのだ。無いのである。32州では、指定言語として英語を使用しているが、それはまるで、州花や州鳥を一つ選ぶかのようにして言語も一つを選ばざるを得なかったのかもしれない。アメリカは多種多様が存在する国だ。この多様化を誇りに思い、祝福すべきだ。カリフォルニア州のような州では、運転免許証取得試験の際、アラブ語、中国語、フランス語、ドイツ語、ギリシャ語、日本語、ハンガリー語、ポーランド語、ロシア語、サモア語、スペイン語、タイ語、トルコ語、ベトナム語など30以上の言語でそのテストを受けることができる。さすがカリフォルニアだ。大いに尊敬できるし、誇りに思える。

結論として、英語を話すことはアメリカでは違法でもなく、他の誰かの権利を侵害するような違反でもない。誰もが何の言語であれ話す権利がある。自分の好きな言語を創造して話すこともできるのだ。さすがアメリカだ! 「英語を話せ!」と、罪のない害のない人々に向かって当然にように怒鳴り声を張り上げる行為自体が、全く理にかなっていない。矛盾した愚かな振る舞いで馬鹿げている。そんな悪意を持たずに、もし外国語が聞こえてきたら、逆に「素敵なサウンドですね。どの言葉をお話ししているのですか?」と称賛するぐらいの心構えを持って欲しい。アメリカ英語以外でも、素晴らしい文学、歌、外国語映画などがあり、想像を超えるある種違った風味や感情が味わえるのだ。外国語を学んだらどうでしょう? 人生の見方がより広がり、より明るくなる貴重な体験になるだろう。異なる言語や文化に触れることによって、振り返る機会を持てて、自分のアメリカ文化やアメリカ英語の素晴らしさも再発見できるかも知れない。そして皆お互いが理解できる文化交流の架け橋になるのだ。

アメリカ合衆国憲法修正第14条の元、外国語教育が保護されている。1923年に 「マイヤー対ネブラスカ」というアメリカ最高裁判所での判例がある。裁判所は(当初の判決をくつがえし)最終的に子供に(この判例では)ドイツ語を教えることは有害ではないことを認識した。

今年2月9日、スティーブ・キング(共和党下院議員、アイオワ州)が、英語統一法(議会997法案)を起案し下院議会に提出した(*過去にしばしば共和党員が提出し、ことごとく廃案になっている)。この法案は、アメリカにおける公用語を英語に制定する、というものだ。すべての国民が、アメリカの法律の英語文章を、一般的に読んで理解しなければならない。内容は曖昧だ。オレンジ顔色の現職大統領は、アメリカ経済に貢献でき、財政的に自立し、実証できる技術を持ち、英語を話す移民を優遇したいというと、強固な声明を発表した。

警告の必要がある。英語のみを推進する国粋主義的運動は、偉大なるアメリカの頑丈な基盤を弱めてしまう危険性が充分ありうる。非英語圏グループやマイナリティーたちの存在を軽視し、疎外し、ましては排除してしまう恐れがある。英語のみをコミュニケーションの手段にさせることで国が統一するかというとそうはならない。非効率的だ。なんでも受け入れる大きな器を逆に狭めてしまう。英語は流暢に話せなく、財政的に自立せず高度なスキルもないが、とにかく毎日一生懸命働く新たな移民たちがアメリカ経済の根底を支えているのだ。目先のことしか追っていない、誰か(特に外国人やマイナリティー)に責任をなすりつける都合主義の政策は、国家の機構を揺るがしてしまい、これまで以上、より深く国民たちを分裂させてしまう結果を招くだろう。馬鹿げた混乱政策だ! 英語を話す人たちのみに焦点を絞ってしまうことで、将来への果てしない誰もが持つ可能性を制限してしまうこと自体に論理的な利点はない。 誤解しないでください。自分は、決して「英語を学ぶな」とか「英語を話すのをやめよう」と言っているのではありません。ご了承くださいませ!

多種多様の状況に置かれた様々な人々が、それぞれのニーズに合わせてあらゆる選択肢を持つ方が明らかに良いに決まっている。アメリカは、充分に広大で、奥深い寛容な心と、なんでも受け入れる優しさを持ち合わせているのだ。単に一つのカテゴリーに押し込むことは無理だ。もう一つ付け加えると、イギリスでさえ、実は英語が公用語ではないのだ! 公用語は定めていない。

全くあてにならない不安定なトランプ政権は、インド、パキスタン、フィリピン、ナイジェリア、バングラデシュ、エジプト、タイ、ネパール、トルコ、イラク、スリランカ、ケニア、マレーシア、ジンバブエ、ガーナ、パプアニューギニア、リベリア、ジャマイカ、アルジェリアなどの国々から、数百万人にも及ぶ資格のある英語を話す移民を受け入れられるだろうか?

害のない無実の人々に向かって、憎しみを込めて「自分の国へ帰れ!」と怒鳴りちらす卑劣なアメリカ人に対してここで再度大いに反論する。しばらくこの件について真剣に考えた。 「自分の国へ帰れ!」と主張できる権利を持つ唯一のグループは、先住民だけではないのか? 彼らがそのような発言はしないと思うが。極論は、先住民以外、皆、合法違法を含め外国から来た移民である!

我々皆が共に力を合わせて、恐れ、不安、敵意、未知に対してうまく対処できるように、愛情を注ぎ、誰もが感謝の気持ちを体験すれば、きっとコミュニティーがよりよく調和できるようになるだろう。偉大なるアメリカの特徴は、フレンドリーさ、寛大さ、公平、平等、野心、自信、夢、民主主義、楽観主義、機会、権利、進歩、正義、自由、多様性に起因するのは疑いない。

最後に、私事のヒーロー的レスラーであるが、それはミル・マスカラス(スペイン語で『千の仮面』の意味)だ!メキシコ出身のスーパースター。日本の子供たちの間で絶大的な人気を誇った。リングでのカッコいい空中殺法と熟練された華麗な動き、鍛えられた筋肉隆々の肉体美、そしてマスクのデザインやきらびやかなアステカの民族衣装のコスチュームに魅了された。自分にはアメリカに来ること以外にもう一つの夢があった。メキシコに行き、スペイン語を勉強することだった。実現した。マスカラスの貴重なサインは、東京の姉の家に大事に保管されている。



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